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その他

柳本城 [ ]

築城年代は定かではないが楊本氏によって築かれたと云われる。 楊本氏は至徳元年(1384年)の「長川流鏑馬日記」に名が記されている大乗院方衆徒で、楊本庄下司職を与えられていた。近世の織田氏の陣屋は中世の柳本城を改修したもの …

芝村陣屋 [ ]

芝村陣屋(しばむらじんや)は奈良県桜井市大字芝村(桜井市芝、大和国式上郡)にあったが、当初は戒重(かいじゅう)に陣屋を構えた。現在、跡地は織田方学校の敷地となっている。

備前保木城 [ ]

保木城(ほぎじょう)は、かつて存在した日本の城。所在地は岡山県岡山市東区(旧瀬戸町)。

摂津郡山城 [ ]

郡山城は高槻城主・和田惟政の家臣、郡平太夫正信の居城として知られている。1571年(元亀2年)に起きた「白井河原の戦い」では、正信は惟政に従い、荒木村重・中川清秀らの軍勢と戦いますが討死した。その後、村重が織田信長に謀反 …

筒井城 [ ]

筒井城は筒井氏の居城として知られている。筒井氏は大和の戦国大名で興福寺衆徒だった。筒井城の城域は、おおよそ南北400m、東西500mと、平地部に築かれた中世の城としては比較的規模が大きいもの。現在、城址は宅地、畑地、水田 …

上庄北城 [ ]

上庄北城は奈良県生駒郡平群町上庄(小字:峠)にある標高117.5mの丘陵地に築城された東西約60m、南北約67mの規模を持つ中世の館城遺構である。

福地氏城 [ ]

福地氏城は、天正年間に築城されたと考えられているが定かではない。現在は芭蕉公園として整備されている。

伊勢上野城 [ ]

長野氏の養子となった織田信包の命で、長野氏一族の分部光嘉に築かせた城。

田原城 [ ]

田原城(たわらじょう)は河内国(現在の大阪府四條畷市上田原)の大和国との境界付近に建てられた戦国時代の日本の城(山城)である。築城者は田原庄の荘官であった田原対馬守(名は不明・某と記される)で戦国時代には畿内の支配者とな …

河内飯盛城 [ ]

飯盛城(いいもりじょう)は、大阪府大東市及び四條畷市にある日本の城跡。標高315.9mの飯盛山に築かれた日本の城(山城)である。日本の中世史、中世城郭史を研究する上で、飯盛山城は重要な位置を占める。河内と大和との間には生 …

多聞山城 [ ]

多聞山城(たもんやまじょう)は、奈良県奈良市法蓮町の現・奈良市立若草中学校の敷地にあった松永久秀、松永久通、塙直政の居城となった日本の城(平山城)。多聞城とも呼ばれる。本丸は現在、若草中学校地。

小松陣屋 [ ]

小松陣屋(こまつじんや)は愛媛県西条市小松町新屋敷(伊予国新居郡)にあった陣屋で、小松藩の藩庁である。

鷺ノ森城 [ ]

伊予守護となった河野通之が桑原氏に命じて築かせた城。戦国時代、小早川隆景の攻撃で城主以下全員が討死して落城。城跡は現在、鷺ノ森神社境内にある。別名:鷺森城。

木ノ下城 [ ]

木ノ下城は尾張国守護・斯波氏の家臣である織田広近が築いた城。その子孫であり、織田信長の叔父にあたる織田信康が犬山城を築いて居城を移したことにともない廃城となった。現在、城趾には愛宕神社があり、境内には金明水という古井戸が …

小口城 [ ]

小口城は織田広近の居城として知られている。織田信長の尾張統一の際に攻め落とされ廃城となったが、「小牧・長久手の戦い」において、一時的に秀吉方の前線基地として再興された。別名:箭筈城。

那古野城 [ ]

那古野城は今川義元の父である今川氏親によって、尾張進出の拠点として築いた城。その後、織田信長の父である信秀が今川氏から奪い取り、信長はこの城で生まれたといわれている(現在は勝幡城生誕説が有力)。信秀は那古野城を幼い信長に …

信貴山城 [ ]

信貴山城(しぎさんじょう)は、奈良県生駒郡平群町にあった日本の城である。木沢長政・松永久秀の居城となった。信貴山城は大和と河内の国境にある生駒山系に属する信貴山(標高433m)山上に築かれた山城である。信貴山は大和と河内 …

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